家族とFX

2度のうつ病発症から強制入院になるまで②

うつ病

 

初めてアイデンティティークライシス【identity crisis】自己喪失に陥ったのが、大学入学後すぐのことだった。自分で選んで受験した大学だったのに、いざ講義を受けたり部活動をしてみても何かが違う。違和感。おもしろくない。だんだんと、なんで片道2時間半もかけて通わなければいけないんだ、何のために大学に通っているんだ、このまま4年間本当に通うのか、私は何がしたいんだ、将来どうなりたいんだ、そう思うようになった。しだいに朝、家は普通に出るんだけど途中で電車を降りて時間を潰すようになった。持っていってたお弁当をショッピングセンターで食べたりしてた。結局、入学後半年で休学届を提出し、そのまま一回生が終わる頃に退学した。

退学後はアルバイトをして過ごす日々。海外への憧れが強くなってお金を貯めて留学したいと考えるように。自分探しの旅の始まりだった。しかし、思った程お金が貯まらない。当時の時給が750円~よくて800円前半の時代(職種によっては1000円もあったが)。ちょうど父もサラリーマンから自営業に変わった時で、まだ事業が軌道に乗っておらず親には頼れなかった。1~2年は留学したかったが、アメリカ西海岸へ1か月のホームステイ&語学学校の留学になってしまった。異文化を経験するには良かったが、その留学で英語がペラペラになった訳ではもちろんない。留学した収穫と言えば、空港から家に帰るまでの日本の街並みの小ささにミニチュアみたいだと驚いたくらいかな。

留学から帰ってからは、またアルバイトの日々。留学しても自分が何をやりたいのか見つからなかった。漠然と英語が活かせる仕事がしたいな、くらいしか考えていなかった。ある時、アルバイトでずっと接客業をしていたので観光業がいいのではと思い立って、短大卒の資格も取るために通信教育課程で学ぶことにした。無事に卒業して、空港で団体ツアーの搭乗手続きをする仕事に就いたのだが、長続きしなかった。今思えば何でもっと頑張らなかったのか、嫌な事があっても2~3年は辛抱して続けていればよかった。憧れの空港でのお仕事で英語も少しは使う場面もあったかもしれないのに。その後は、一時期何もやる気が起きなくなり引きこもり状態になった。

何か月か経ってまた新たなアルバイトを探した。デパートの食料品売り場だった。ここでは仲間にも恵まれて楽しく働け、結婚するまでの6年半続ける事ができた。1年経った頃から売り場管理も任され、責任ある仕事をさせてもらえた。しかし、この仕事が本当に自分がやりたかった事かと言えば、そうではなかった。働きながらも何かを探していた。自分探しはいつまで経っても終わらなかった。